昭和43年1月13日 十三日会 【入力者:岡村和一郎】
(途中)
ですからね、ここんところが頂きもせんとですね、他にどういう信心のけいこをしてもですね、ダメです。どういう素晴らしい話を頂いてもダメです。ここが基礎になり、ここが基盤になっておかなければ。ね。
例えて、私、(ただ今?)いわゆるこう、茶たくにこうお茶がこう出してある。(そういしたりなんちゃらこうしかっと?)ね、例えば(こういう湯呑みがのこういうものが?)、もうしかっておる、お茶たくの下にこのようにしかっておる。
そすと、これにどんなにまともにお茶を汲んでもです、このくら(なorや?)ったら、これだけしかいらん。それがこげん下に溜まっとるなら、もうぜんぜん入らない、いっぱい入れても。
だから、これがですね、あのー、神様に喜んで頂く信心とか、かみ、あのーいよいよ神様の願いに沿い奉るという、そういう信心がですね、その正調なものが、その基盤になったものでなからないかん。
なら、はたして十三日会で信心のけいこをしよる者が、皆そうとは言えんのです。ね、ですから、ここにあのー、せっかくの、例えばこうお茶を出しても、下がまっすぐ、へ、平行、平たいならですね、これにお茶碗に一杯のお茶を汲むのに一杯のものが頂けれる。 ところが、下に入れて(こう?)しかっておってごらんなさい。ね。例えば、それが基礎であってはならない、基盤というものは、そんなに大事なものなん。
ですから、私どもが十三日会でほんとに、神様の悲願に、ね、神様の願いに応えだにまつりたいという信心とは、ということが、信心の基盤にならなければならない。ね。そこから、あのーあらゆる信心が、あー打ち立てられていって、えーまともな信心が分からしてもらうのです。
ですから、そういう、うー、大事な、あー、私どもは、あー、一つの神様の願いといったようなものを、私どもの信心全体で受け止められるだけのおかげを頂きたい。そういう理想を持って、えー、信心を進めていきたい。
初の、おー、十三日会に際しましてですね、私どもが、あー、(もう?)ほんとに自分達の、その願いとしておる、神様の願いとしておられる、それが、ぇあー、その一致点が出ておるかどうか。
ほんとに神様の願い、(?)真の信心とこういうても、その真の信心がです、ほんとにこの基盤がそこに、ね、神様の願いが願いとして、そのー私どもに分からしてもらう得ての、そこからの信心でなからなければですね、どんなに素晴らしいことが分かっても、その信心は大したことはない。ね。
第一、おかげが受けられない、ほんとのおかげが。すー(息吸い込む)、そういう一つの願いを持ってから、今後の十三日会は、いよいよ神様の願いに応え奉れる、しかも、それが私ども信心の十三日だけではない、私どもの信心の基盤になるような信心を願いとして、えー信心を求めていきたいと思います。どうぞ。